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ウオーキングが変えた生活習慣と意識

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私が夕食後のウオーキングを始めたのは、3年ほど前のことです。きっかけは痛風の症状でした。生活習慣を見直す必要を感じ、まずは歩くことから始めました。 それまでの私は、1日の歩数が3,000歩に届かない日も多く、ひどい時には2,000歩以下ということもありました。出張で東京に行くと、帰りには足が重く疲れを感じたものです。 それが今では、夕食後に1時間歩くのが習慣になり、青信号が点滅すれば迷わず駆け出せるくらい体が軽くなりました。体型にも変化が表れ、周囲から「痩せたね」と言われることも増えました。体重自体はある程度で下げ止まりましたが、体の感覚は明らかに変わったと感じます。 考える時間をくれるウオーキング もうひとつの効果は、歩きながら聴くPodcastです。他の人の考えに耳を傾ける時間を持てるようになり、「運動」「食事」「睡眠」といった生活の質について、意識が高まってきました。 例えば朝食では、必ず野菜を取るようにしています。その時に使う穀物酢の原材料が「米、小麦、トウモロコシ、酒粕」なのか「米、酒粕」だけなのか――そんな細かい違いにも目が向くようになりました。 食材の背景に関心が広がると、外食の回数も自然と減ります。必要な栄養を考えれば肉より魚にしよう、脂質はどの程度が良いのか、と選択が変わっていきます。外食の席でも、美食への興味は以前ほど強くなくなりました。 結局のところ、「何を食べるか」が「どう生きるか」につながるのだと思います。 燕三条の調理器具に込める意味 こうして日々の暮らしの中で気づいたのは、食べることと生き方の関係です。そう考えると、私たちが燕三条でつくる調理器具にも、単なる「道具」以上の意味を持たせられるのではないかと感じています。 日々の食事に向き合う時間を、少しでも豊かにする。そうした視点で、これからもものづくりに関わっていきたいと思います。

SCAJ2025出展「コーヒーで染めたペン」

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金属を大きく分けると、「鉄」と「非鉄」に分類されます。日本の金属加工の多くは「鉄」に関わる産業ですね。ステンレスも鉄の合金ですし、私たちが扱う燕三条の鍛冶屋も主に鉄を扱っています。 鉄は、硬いのに脆くないという面白い性質を持っています。ガラスは非常に硬いですが、衝撃が加わると割れてしまいますよね。柔軟な物質は柔らかいのが一般的ですが、鉄は硬さと粘り強さを併せ持っているんです。 では、「非鉄金属」はどうでしょう。私たちの身近にあるものだと、銅やアルミニウムが代表的です。特にアルミニウムは、軽くて加工しやすいため、様々な製品に使われています。 アルミニウムは鉄のように赤く錆びることはありませんが、白い粉状の酸化被膜ができる「錆び」は発生します。この錆びを防ぎ、耐久性を高めるための加工が「アルマイト加工」です。調理器具や食器には、安全性の観点からも欠かせません。 アルマイト加工は、アルミニウムの表面を電気分解によって人工的に酸化させ、硬い膜をつくる技術です。この膜には目には見えないほど小さな穴(微細孔)がたくさん開いています。この穴に染料を浸透させて着色するのが「カラーアルマイト」です。 この微細孔に染料を浸透させる際、化学染料ではなく、天然のものが使えないか? そんな発想から、私自身の新たな探求が始まりました。 目指したのは「黒」。そして、調理器具にも応用できるよう、安全性も考慮して「コーヒー」で染めてみることにしたのです。以前、デザインした「金属の塊から削り出したペン」がちょうどアルミニウム製だったので、まずはこのペンで試してみました。 化学染料ではきれいに黒く染まりますが、コーヒーでは狙ったような深い黒にはなりませんでした。 アルミニウムだからといって、何でもアルマイト加工ができるわけではありません。鋳造されたものは加工が難しく、純度の高いものが適しています。改めて「微細孔に染料を浸透させるだけで黒く見える」化学染料のすごさを感じました。衣類を炭で染める「墨染め」も、完璧な黒に染めるのは難しいと聞きます。 今回のSCAJ出展では、この**「コーヒーで染めたアルミペン」**を展示・販売します。完璧な黒にはならなかったけれど、一言では言い表せない、独特のニュアンスを持つ色に染まりました。 ぜひ、この探求のプロセスと、その結果生ま...

SCAJ2025に出展します ― 会場限定パッケージの実験

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私たちFD STYLEは、SCAJ2025に出展します。コーヒーの展示会に参加するのは、昨年に続いて2回目となります。今回は、会場限定で試してみたいことがあり、現在準備を進めています。それはワイスケドリッパーの会場限定パッケージです。 パッケージの悩み FD STYLEのように小規模で展開するブランドにとって、パッケージは悩みの種です。一般的な印刷パッケージはある程度の数量を前提に効率が成り立つため、製品の生産規模と合いません。とはいえ、パッケージは製品の価値を伝える大切な要素です。 ワイスケドリッパーと黒染めの特性 今回の対象となるワイスケドリッパーは、ステンレスを「黒染め」した仕様を採用しています。ただし、ステンレスの黒染めは一般的ではなく、量産品には向きません。理由はTIG溶接による組み立ての際に高温で材質が変化し、染まりにムラが生じるからです。 ムラを目立たなくする方法もありますが、コストが上がってしまいます。そこで、私たちはあえてムラをそのまま受け入れることにしました。工業製品でありながら工芸品のような「個体差」を楽しめるデザインとしたのです。その代わり、通常のステンレス素地バージョンとの価格差はつけず、選ぶ楽しみを残しています。 従来パッケージの限界 この思想を反映するため、これまでは全体を覆わないスリーブ型のパッケージを採用してきました。外観の個体差を確認できる一方で、丈夫さに欠け、移動の際に傷みやすいという課題がありました。完全な箱にすれば保護はできますが、それでは「個体差を見て選ぶ」という楽しみが失われます。 3Dプリンターで作る会場限定パッケージ そこで今回、3Dプリンターでパッケージを作る実験を試みました。外観をそのまま確認でき、蓋を外せば内側も見える構造です。必要な数量だけを作れるため、小規模生産との相性も良いと考えています。 使用する素材は植物由来のPLA(ポリ乳酸)樹脂。環境負荷も最小限で、展示会という「場」にふさわしい試みになると感じています。 所有する一つを選ぶ体験 この限定パッケージは、決して高価な製品ではありません。ただ、目の前にある個体を自分の目で選び、所有するという体験を提供できるのではないかと思っています。もちろん、従来のパッケージも並行して販売します。 どのような反応...

湯たんぽ開発秘話、燕三条と五泉をつなぐものづくり

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なぜ、いま湯たんぽをつくるのか 「昔ながらの道具を、現代の暮らしに合うかたちに」。このFD STYLEの思想は、湯たんぽにも通じています。 一般的な湯たんぽは、安価な亜鉛メッキ鋼板でつくられているものが多く、シーズンオフに手入れを怠るとすぐにサビてしまいます。結局、数年で買い替えることになり、その度にゴミが増えてしまう。 そこで私たちは、この湯たんぽを、本当に長く使ってもらえるものにしたいと考えました。素材に選んだのは、丈夫でサビに強い**ステンレス(SUS304)**です。正しい使い方をすれば、パッキン交換だけで何十年も使える。そうすることで、消費を抑え、環境にも配慮できる。道具としての本質的な価値を高めることにこだわりました。 現代の暮らしに寄り添うサイズ 容量にも、こだわりの理由があります。昔ながらの湯たんぽは、1リットル以上の容量が主流でした。お湯を沸かすための「やかん」も2〜2.5Lが普通でした。しかし、現代の暮らしでは、電気ケトルやポットで500〜800mlのお湯を沸かすのが一般的です。 この日常の動線に合わせることで、湯たんぽを使うことが特別なことではなく、無理なく続けられる習慣になる。FD STYLEの湯たんぽが600ccというコンパクトなサイズになったのは、そうした理由からです。 金属と繊維、異なる産地をつなぐデザイン そして、この湯たんぽを語る上で欠かせないのが、カバーです。 新潟県には、世界に誇るふたつの産業があります。ひとつは燕三条の金属加工。もうひとつは、五泉のニット産業です。どちらも日本のものづくりを支えてきた歴史と技術があるにも関わらず、それぞれの市場が確立されているため、隣り合った地域で協業することはほとんどありませんでした。 この異なる産地の魅力をひとつの製品に集め、新たな価値を生み出すこと。それが、デザイナーである私の役割だと考えています。 金属の堅牢さと、ニットの柔らかさ。相反するふたつの素材がひとつになることで、温かさだけでなく、心地よさも兼ね備えた製品になりました。 湯たんぽ本体は、ひとつひとつ職人の手作業で仕上げられます。そして、その本体に合わせるカバーも、職人の手で丁寧に編まれています。私たちの湯たんぽは、燕三条と五泉の職人技が詰まった、まさに新潟のものづくりの結晶なのです。...

車中泊と湯たんぽ、暮らしに寄り添う道具たち

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まだまだ日中は汗ばむ陽気が続いていますが、朝晩の風に少しずつ秋の気配を感じるようになりました。 この夏、高速道路のサービスエリアや道の駅、大きな観光施設の駐車場で、ずいぶん多くの車中泊の車を見かけました。長期休暇には、あちこちでずらりと車が並び、新潟市内の観光地でも、県外ナンバーのキャンピングカーやワゴン車を目にすることが多くなりました。自由に旅するスタイルが、当たり前になりつつあるのかもしれません。 秋が深まり、冬が訪れると、旅の頼もしい相棒である車の中もぐっと冷え込みます。そんな時に考えたいのが、暖かさとの付き合い方です。電気やガソリンを気にすることなく、温もりを確保する方法はないだろうか。 そこで改めて注目したいのが、昔ながらの道具である湯たんぽです。 電気を使わず、お湯を沸かすだけ。シンプルな仕組みですが、小さな空間だからこそ、その「じんわりとした温かさ」が、冷えきった身体に大きな安心感を与えてくれます。 FD STYLEの湯たんぽは、600ccのお湯で使えるコンパクトなサイズ。場所を取らず、キャンプ用の小さなバーナーや電気ケトルでも手軽に準備できるのが利点です。素材はステンレスなので頑丈で、少しぶつけても変形しません。就寝時に寝袋に入れても、助手席で膝に乗せても、気兼ねなく使えます。 湯たんぽに欠かせないのが、カバーです。FD STYLEのカバーは、新潟のニット産地で丁寧に編まれたもの。ざっくりとした編み柄に温かみがあり、手触りも柔らかい。無機質なステンレスと、柔らかなニットの素材感が合わさることで、視覚的にもぬくもりを感じる落ち着いた雰囲気をつくりだしてくれます。 車中泊のプライベートな空間を、さりげなく自分らしく演出してくれる。そんな道具としての魅力も持ち合わせています。 車中泊やアウトドアに限らず、湯たんぽは様々な場面で頼りになります。災害時や停電時、お湯さえ沸かせば、電気や燃料に頼ることなく温もりを得られる。時代が変化しても、暮らしに寄り添う道具としての本質は変わりません。現代のライフスタイルに、昔ながらの知恵が再びフィットしているのだと感じます。 実際に使ってみたい方へ、FD STYLEの湯たんぽは オンラインストア でもご紹介しています。

鉄フライパンはどれも同じではない

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鉄がフライパンに向いている理由 鉄の大きな特徴は「熱をしっかり蓄える」ことです。表面が十分に温まったフライパンに食材を置けば、「ジュッ!」という音とともに油がはじけ、一瞬で高温が伝わります。食材の表面は香ばしく焼き締められ、旨みを逃がさず閉じ込めることができます。 音や香りも含めて、調理そのものを楽しめる。これが鉄フライパンを使う醍醐味だと思います。 厚みと重さのバランス 「鉄なのに軽い」という表現を最近よく見かけます。確かに板厚を薄くすれば軽くできますが、蓄熱性は下がり、鉄フライパンらしい調理は難しくなります。 一般的な鉄板の厚みは 0.9mm、1.2mm、1.6mm、2.3mm といった規格が多く、厚いほど重く、薄いほど軽いのは当然です。0.9mm なら軽快ですが、ジュッ!という理想的な焼き締めは難しい。2.3mm なら蓄熱性は抜群ですが、毎日使うには重すぎます。IH のようにフライパン自体を直接加熱する調理器具では、薄い鉄板は変形のリスクもあります。 私たちは製品ごとに最適な厚みを選んでいます。20cm のフライパンは軽快さを優先しハンドルを短めに設計。一方で玉子焼き器は 2mm の厚みを持たせ、ハンドルを長くして安定感を重視しました。似たサイズでも、厚みと形状のバランスによってまったく違う性格の道具になります。 また重さを補うために、ハンドルは単純な丸棒ではなく角丸の四角断面にしました。竹材を用いることで握りやすく、重さを感じにくい工夫もデザインの重要な点です。トータルで見て、シンプルで嫌味のない「普通」のフライパンに仕上げること。実はそこに最もこだわっています。 加工方法の選択 鉄フライパンといっても製法はひとつではありません。鋳鉄は厚みがあり蓄熱性に優れますが、重さが負担になります。プレス加工や鍛造は強度が出やすい反面、歪みや形状の自由度に限界があります。 私たちが採用したのは「スピン加工」。鉄板(SPCC材)を回転させながらローラーで成形する方法です。均一で歪みの少ない皿形状が得られるため、広い平底と立ち上がりを持つフライパンに適しています。 さらに独自の「OXYNIT加工」を施しました。窒化処理で鉄を硬化させ、その後に酸化被膜を発生させることで耐食性を高めています。鉄の良さをそのままに、日常の手入れを軽...

働き方と「質」を考える

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私が会社員として働いたのは5年ほどで、その後はフリーランスとして活動してきました。会社員時代もフリーランスになってからも、共通して思っていたのは「良いデザインの商品は生活を豊かにする」ということです。だからこそデザインは社会的に必要だと信じてきました。 ただ、新潟という環境ではデザインを評価してくれるユーザーの声に直接触れる機会は多くありません。むしろ現場で強く感じたのは、製造する人の負担を減らすことでした。 これは必ずしも大掛かりな工夫を意味しません。加工方法に合わせて、ほんの少し形状や構造を変更するだけで負担が減ることがあります。逆に、製造する人が「ほんの少しだから」と勝手に判断して形状を変えてしまうと、全体のバランスが崩れてしまうこともあります。そこで重要なのは、信頼関係を築いて適正な相談を受けられる環境をつくることです。その関係性が整えば、製造の現場にとっても、デザインの品質にとっても、良い結果につながるのだと感じました。 よく聞く話に「数をこなさないと上達しない」というものがあります。もう一つ、「安物の仕事をしている職人に予算を増やしても良い仕上がりは期待できないが、高級品を扱う職人に予算がなくても頼めば仕上がりは良い」という言葉もあります。これは作業の「習慣」と、その習慣の「質」の違いを示していると思います。 仕事の内容と金額は必ずしも比例しません。特にクリエイティブワークはそうです。もちろん予算が少なければ投下できる時間は限られます。しかし仕上がりを決めるのは、それだけではなく、関係者の熱量や相性による部分も大きいと感じています。 フリーランスとして働き方を自分で選べるようになってから、さまざまなやり方を試してきました。振り返ってみると「良かったこと」も「そうでなかったこと」も、実際には「51対49」くらいの差にすぎないと思います。毎日の繰り返しがやがて大きな差になるのだろうし、考え方次第では反対の結果に導くことも可能なのではないかと感じています。 働き方や仕事の質には、決まった答えはありません。小さな選択と調整の積み重ねが、最終的に自分にとっての納得につながります。そしてその根底には、製造する人や関係者との信頼関係が欠かせないのだと実感しています。 若い世代への示唆 これから社会に出る方や働き方を模索している方に伝え...

SCAJ出展に寄せて。コーヒーが繋ぐ「手仕事」と「文化」

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今月9月24日〜27日に、東京ビッグサイトで開催されるSCAJ(スペシャルティコーヒー協会)の展示会に出展します。昨年から始まったツバメコーヒーとのプロジェクト、ワイスケドリッパーを多くの方に知っていただく機会です。 私たちがつくるFD STYLEのプロダクトは、料理という行為や、食べるという日常に寄り添う「ちょっといい普通」を目指しています。しかし、このワイスケドリッパーは、それだけではない、もっと深いテーマを内包しています。 「完璧」を求める機械と「個性」を尊重する手仕事 コーヒーを淹れる行為を考えてみると、大手カフェチェーンでは、最新の機械が完璧に制御された味をいつでも、どこでも提供します。これは「均一」を追求する価値であり、その安定感は多くの人に安心感を与えます。 一方で、2000年代後半から広まったサードウェーブというムーブメントは、その逆でした。人がハンドドリップで淹れる際、その日の気温や湿度、豆の状態によって生まれるわずかな「ブレ」や「揺らぎ」を、むしろ「個性」や「人間味」として大切にしました。 私たちがワイスケドリッパーをデザインしたのも、この「人」が介在する部分に惹かれたからです。最新の機械が完璧な答えを出すのに対し、ハンドドリップは淹れる人によって表情を変えます。ドリッパーの素材や構造、そして注ぎ方、そのすべてが一杯の味に影響します。私たちは、この「不完全さ」や「不均一さ」を尊重したいと考えました。 ドリップを「手の延長」にするポット SCAJでは、ワイスケドリッパーだけでなく、新たにドリップポットも発表します。 ハンドドリップは、お湯を注ぐ速さや量によって味が大きく変わります。このポットは、その繊細なコントロールを誰でも可能にするために、コンパクトな設計にこだわりました。手首のわずかな動きで、狙った場所に静かにお湯を落とすことができます。 容量は360ml。大きめのマグカップ一杯分をしっかりとカバーできるサイズです。ポットの湯量が減っていくのを目で追いながら、抽出量を想像できる。そんな使い心地を大切にしました。 FD STYLEの顔であるマットな黒は、今回も健在です。ステンレスに施した黒染めは、使い込むほどに表情を変え、あなただけの道具へと育っていきます。 コーヒー文化が育む「居場所」と「価値」 コーヒーが提供してくれるの...

3Dプリンターで“あったらいいな”を形にしてみる

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私が社会人になった1980年代、試作モデルをつくるには「モデル屋さん」に依頼するのが当たり前でした。木や樹脂を切削して精巧なモデルを作ってくれる職人で、市内には三軒ほどありました。私にとって彼らは単なる外注先ではなく、困っている企業とデザイナーをつないでくれる存在でもありました。図面が描けない、デザインができないと悩む企業を紹介してくれることもあり、仕事を広げる上で重要な関係でした。 今ではそうしたモデル屋さんは姿を消し、机の上に3Dプリンターがあります。外注に頼まず、自分でデータを修正し、その日のうちに形を確認できる。便利な時代になったと感じる一方で、「人を介して広がる関係性」が薄れてしまったことは少し寂しく思います。 ピーラーが替刃式でない理由 最近私は、ピーラーの刃を交換するための補助具を3Dプリンターで試作しました。ピーラーは安価な道具で、野菜の皮を剥くだけですから、多少切れ味が落ちても我慢して使う人が多い。「そのうち買い換えればいい」と考えるのが一般的です。 実際には替刃式を取り入れている製品もありますが、替刃が入手しにくかったり、刃自体が高価だったりして現実的とは言いにくい状況です。 それでも替刃を望む声 売り場で耳にするのは「刃を簡単に交換できたらいいのに」というお客様の声です。特にプレゼントや記念品で手に入れたものなら、長く使いたいと思うのは自然なことです。そこで私は、髭剃りの替刃をヒントに、ピーラーでも安全に刃を交換できないかと考えました。 実際に作った補助具 3Dプリンターで作ったのは二種類です。 刃に直接触れないためのカバー 古い刃を取り外し、本体を少し広げるための道具 どちらもシンプルな形ですが、実際に試すと「カバーはどこまで覆えば安心か」「どの厚みなら力をかけやすいか」といった検討点が次々に出てきます。 便利さと悩みの両面 3Dプリンターは夢のように気軽に作れる道具ですが、作れば作るほど迷いも増えます。修正して何度でも出力できる反面、時間やコストは積み重なり、答えを探すほどに悩みは深まる。これはデザインに限らず、ものづくり全般に共通することだと思います。 FD STYLE とのつながり 私が展開する FD STYLE は、大きな規模を目指すものではありません。産地の技術を活用した確かな...

ゴミ拾いトングのデザインから学んだこと

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夏といえば海を思い浮かべます。多くの人が訪れ、にぎやかに過ごした後には、美しい景色と同時にゴミが残されることもあります。 私は、こうしたゴミ拾い活動に使うトングをデザインしたことがあります。きっかけは2010年頃、三条商工会議所が主催する講演会に講師として招かれた際に、永塚製作所の能勢専務(現・社長)と出会ったことでした。 永塚製作所は、火バサミや火おこし、十能、移植小手といった金属製の生活道具を製造する工場です。専務は異業種から入社して3年目でしたが、コミュニケーション能力が高く、業界外にも幅広い人脈を持っていました。話をするうちに、彼が関わる「ゴミ拾いを中心としたコミュニティ」の存在を知り、その活動の延長としてゴミ拾い用のトングの開発に取り組むことになったのです。 完成したトングは、従来の火バサミを少し改良して、先端にシリコンゴムの部品を加えたシンプルなものでした。私自身、グリーンバードの清掃活動に参加した際、軍手で火バサミが滑りやすかったり、先端が通行人に当たりそうで不安を感じた経験がありました。その実感をもとに改良を加え、試作を重ね、保持力を数値化して検証しました。金属加工を専門とする工場では異素材を扱うことが少ないため、シリコンゴムの成型を行う工場を紹介するなど、新しい連携も生まれました。 2012年には、この「ゴミ拾いトング」がグッドデザイン賞でBEST100に選定され、さらに「ものづくりデザイン賞」を受賞しました。火を扱う道具であった火バサミを環境活動の道具として再設計した点、そしてコミュニティとのつながりを意識した開発姿勢が評価されたのです。この年の授賞式ではステージ上でプレゼンテーションやパネルディスカッションに参加する機会もあり、貴重な体験となりました。 永塚製作所にとっても、この受賞は特別な出来事でした。地元のテレビ局が取材に訪れ、専務からは「社員が自宅で、子どもに“お母さんの会社テレビに映っていたよ”と言われた」とか、「配達の人が、社名入りの車で河原でサボっていられなくなった」といった声があったと聞きました。デザイナーに依頼した初めての案件で、商品が売れるということ以外にも、社員や地域に誇りを感じてもらえる効果があったのだと思います。 私自身も、この経験を通じて「デザインは売れる・売れないとは違う価値を提供できる」...

シアトルのように

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人口規模で見れば、新潟市とシアトルは大きく変わりません。シアトルといえば、ボーイングやマイクロソフト、アマゾンといった企業が生まれた街。産業が街を育て、インフラや文化の厚みをつくってきた都市のイメージがあります。 新潟市も、新しい駅が完成して少しずつ変わってきました。駅ビルには県内各地の名産を集めた「ぽんしゅ館」や、新潟伊勢丹の「越品」などがあり、地域の魅力を束ねる場になっています。その一角「クラフトマンシップ」では、FD STYLEの製品も揃っています。 もしここからLRTが整備され、駅から真っ直ぐ南へ伸びていったらどうでしょう。途中でビッグスワンに寄り、亀田イオンを経由して工業団地まで。車両は新潟トランシスやJR新津車両製作所で製造されたものなら、まさに「地元で走る地元製」の交通です。想像するだけで少し楽しくなります。 新潟市の場合、発展する駅周辺に対して旧市街地をどうするか、という議論に力点が置かれすぎているように感じます。むしろ、発展の可能性が高いエリアに資本を集中させた方が街としては面白くなるのではないでしょうか。拠点性を高める中で、結果として旧市街地の新しい展開も生まれてくるように思います。 さらに新潟市には新潟大学があり、周辺から若い人が集まっています。卒業後もそのまま起業したり、働き続けたりしたくなる街になれば、都市の魅力はもっと広がるはずです。 新潟は金沢のように観光で人を集める都市とは違うと思います。むしろ、産業や暮らしを基盤にしながら、新しい都市像を描ける街。そんな未来を思い浮かべると、シアトルのように「新しい産業と文化を起こせる都市」として未来を語れるのではないかと感じます。 そして個人的には、工業デザイナーとして 駅や車両、都市インフラのデザインに関わり、若い人が定着したくなる街づくりに参加できれば嬉しいと思います。暮らしの道具だけでなく、都市そのものを形づくる一部に関われたら、それはとても面白い仕事になるでしょう。

長く使える鉄フライパンをどうつくったか

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黒 いキッチンツールの次に 黒いキッチンツールを発表したあと、「次は何を?」という声をいただくようになりました。私自身も、暮らしに欠かせない道具の中で「永く使えるもの」を改めて考えてみたいと思いました。そこで取り組んだのが鉄フライパンです。 フッ素加工への疑問 展示などで黒いキッチンツールを紹介すると、よく「フッ素加工は剥がれませんか?」と質問されました。多くの人が経験しているのは、フッ素加工が高温で劣化し、焦げつきやすくなる現象です。それを「剥がれる」と理解している人が多いのだと気づきました。実際、フッ素加工は260度以上で劣化すると言われています。 つまり「買い替えが当たり前」とされている背景には、素材そのものの性質や使い方の誤解もあるわけです。この点は、日々使う道具をどう選ぶかを考える上で重要だと感じました。 工場探しと加工技術 こうした疑問や不満に対して、より長く使える道具を提案したいと考え、私は「鉄フライパン」のデザインに取り組みました。 最初に相談に行ったのは燕市の鉄鍋メーカーです。しかし担当者は「窒化は試したことがあるが簡単ではない」と話しました。鉄フライパンを作るだけなら工場はいくつもありますが、サビに強い窒化処理まで踏み込むと難しい課題が残りました。 その後、プリンス工業を通じて紹介された金属表面処理の技術を持つ工場で、鉄板を窒化処理し酸化被膜をつける加工が可能になりました。こうして、ただの鉄フライパンではなく、長く使えるものに近づいていきました。 木柄の工夫 仕上げとして、取手にはステンレスと竹を組み合わせました。フライパンの木柄といえばホワイトアッシュなど洋材が一般的ですが、日本製を強調するなら何がふさわしいかと考え、竹を選びました。竹べらが水に強く長持ちすることを、日々の料理で実感していたことも後押しになりました。 形状はシンプルな棒状ですが、断面は角を丸めた四角です。丸棒の方が加工は容易で、多くのフライパンがそうなっています。けれど私は、調理した中身を皿に移す動作に着目しました。フライパンを少し傾けやすいように、この形にしたのです。 こうして完成した鉄フライパンは「窒化と酸化皮膜」を施した独自のもので、「OXYNIT加工」と名付けました。ただし、FD STYLEでは商品ごとに個別の名称をつけず、あく...

海外評価が後押ししたブランドの必然

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私が黒いキッチンツールのシリーズに取り組んだのは、2008年のことでした。新潟県の「百年物語」というプログラムに参加し、新しいアイテムを加えながらキッチンツールを「黒」に仕上げる試みを始めました。百年物語のテーマは「男性向け」とされていましたが、私自身はそこに強い関心を持ったわけではありません。むしろ当時、燕のメーカーが黒と朱に塗装した洋食器を発表し、ニューヨークのMOMAのコレクションに選ばれたことが大きなきっかけでした。 「ステンレスに塗装する」という発想は珍しく、果たして実用に耐えるのかどうか、自分でも試してみたいと思いました。複数の塗装工場を回り、「艶消しの黒」をテーマにいくつかの加工を試しました。最終的に選んだのは、最もコストのかかるフッ素加工でした。 理由は明快で、耐久性に優れていたからです。もし塗装が剥がれて食材に混じったら、それ自体がNGです。実際に日常の食卓で使う道具だからこそ、安全でなければ意味がありません。試作の中で、フッ素加工が最も剥離や摩耗に強く、安心して使えると判断しました。 Wallpaper誌への掲載 2009年、完成した黒いキッチンツールをドイツ・フランクフルトの展示会で発表しました。すると、英国のデザイン誌 Wallpaper がこのシリーズを紙面に取り上げてくれました。私にとっては思いがけない出来事でした。 さらに翌年、Wallpaper Design Awards 2010 にノミネートされ、最終的に受賞することになります。驚いたのは、自分から応募したわけではなかったことです。ある日突然、ロンドンから雑誌と書類が送られてきて、初めて事態を知りました。 誌面を開くと、AlessiやBoffiといった世界的ブランド、そして当時はまだ無名だったnendoの作品と並んで掲載されていました。地方の小さな工場と協働してつくった日常の道具が、国際的なブランドやデザイナーと同じ紙面に紹介されている――その事実に強い衝撃を受けました。 海外と国内での評価の違い Wallpaper誌に掲載されたことで、海外からの問い合わせや反応が少しずつ増えていきました。後にはBottega Venetaに紹介されたり、NHKの海外向け放送で取り上げてもらうこともありました。2017年以降は実際にパリや香港の展示会に参加し、直...

地方(新潟)で工業デザイナーを続けられた理由 Vol.3

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第3話:地域との関わりとFD STYLEへの道(1990年代後半〜2000年代) 背景 フリーランスとして活動を始めた私は、製品デザインを受託する一方で、燕三条地域の工場や人とのつながりを広げていきました。 そんな中で大きな影響を受けたのが、新潟青年会議所への参加でした。青年会議所は40歳までの異業種の集まりで、私が入会した当時は体育会系の雰囲気が強く、早々にやめようと考えたこともありました。しかし我慢して参加するうちに、異業種交流から生まれる学びの多さに引かれていきました。 異業種交流から得た学び 例えば「墨壺」のデザインを依頼されたときのこと。誰がどのように使うのかを知りたくて、建設会社に勤める青年会議所メンバーに相談しました。すると現場担当者に直接意見を聞く場を設けてくれました。クライアントに伝えると「ゼネコンの話を直接聞ける機会はない」と喜ばれ、一緒に参加することになりました。 さらに後日、今度はその建設会社から「自分たちは商社のようなもので、採用している設備や道具がどう作られているのか見せて欲しい」と頼まれ、私が担当していた換気口メーカーを案内しました。双方から感謝され、「橋渡し」という役割の大切さを実感しました。 地方では地域内のつながりが重要で、SNSがない時代でも人となりは自然と伝わっていくのだと感じました。青年会議所では理事を5年間務め、行政と共通点のある組織運営にも触れることができました。 新潟市の特徴と課題 同年代の経営者と交流する中で「新潟には外へ発信できる魅力が少ないのではないか」という課題を意識するようになりました。 新潟市は「日本海側最大の都市」で人口規模も大きいのですが、特徴といえば「雪・米・酒」くらいだとよく言われます。 私自身の考えでは、新潟市は県庁所在地の中で唯一お城がなかった街で、政治の拠点として発展したわけではなく、北前船によって港町として育った街です。そうした歴史的背景が、市民の意識にも影響しているのではないかと感じました。 また、村上茶や燕三条の金物、佐渡の民藝、小千谷や十日町の織物、五泉や見附のニットなど、県内の魅力的な「モノやコト」が新潟市で手に入る場所はほとんどありませんでした。観光都市・金沢との対照は印象的でした。 「伝える人」の存在 ある時、酒蔵の友人から「萩野さん...

地方(新潟)で工業デザイナーを続けられた理由 Vol.2

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Vol.2 フリーランスの始まりとMacintoshとの出会い 背景 1991年6月20日、私は企画会社を退職しました。特に準備をしていたわけではなく、無計画に辞めてしまった形でした。 当時は携帯電話も普及しておらず、実家の電話が唯一の連絡手段でした。退職して2日後、その電話が鳴ります。相手は、以前に数回デザインを担当したことがある三条市のプラスチック収納メーカーの社長でした。 フリーランスのきっかけ 社長は「会社に電話したら君が辞めたというから、自宅の番号を聞き出した」と言い、「一度会社に来て欲しい」と伝えてきました。 訪問すると、まずは入社の誘いを受けましたが、私は断りました。すると社長は次のように提案してくれました。 「年間150万円でデザイン業務を受けるというデザイン会社があるのだが、同じ条件でどうか? デザイナーとして活動するのに生活が不安定では良い仕事はできないだろう。だから同様の契約を4〜5件持てばよい。」 当時の私は契約に関する知識が全くなく、その場では「考えさせて欲しい」と答えて帰りました。 助言と決断 相談できる人がいなかった私は、卒業した短大を訪ね、たまたま居合わせた非常勤の村上先生に相談しました。先生は東京でデザイン事務所(ヒューマンファクター株式会社)を経営されていました。 費用の妥当性を気にする私に、村上先生はこう言いました。 「私からすれば何の実績もない君に契約してデザインを任せようという人がいること自体が不思議だ。 費用のことは気にしなくていい。やりたければやればいいし、やりたくなければ断ればいい。」 この言葉に背中を押される形で、私は「やらせてください」と社長に伝えました。 その時、社長は「経営者としての考え」をいろいろと語ってくださり、最後には契約金額を180万円に上げてくれました。私は「金額は一方的に提示されるものではなく、互いにすり合わせるものだ」ということを、この時初めて学びました。 事務所とMacintosh こうして私はフリーランスデザイナーとして動き始めました。 実家には小さなスペースがあり、DIYで事務所にしました。まだコンピューターが一般的でない時代で、製図は友人から譲り受けたドラフターを使っていました。元手は車を買い替えた時に残った120万円ほどでした。 その後、東京の...

地方(新潟)で工業デザイナーを続けられた理由 Vol.1

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私は1986年に社会人としての歩みを始めました。振り返れば40年近くデザインに関わり、地方・新潟という土地で活動してきた中で、多くの出会いと学びがありました。 今回のブログでは、これまでの歩みを改めて整理し、3回に分けてご紹介します。 第1話は「就職と最初の転職」、第2話は「フリーランスの始まり」、そして第3話では「地域との関わりとFD STYLEへ至る道」を振り返ります。 Vol.1「就職と最初の転職」 背景 私が社会人になったのは1986年、日本が「バブル景気」に沸いていた時代です。 地方の公立短大のデザイン科プロダクトコースにも大手家電メーカーから求人があり、実際に先輩たちがそうした企業に就職していました。 私は当初、玩具メーカーに入ろうかと就職活動をしていました。しかし東京に行くたびに乗る満員電車にはどうしても耐えられそうにないと感じ、「いずれは新潟に戻って生活するのだろう」と考え、新潟の家具メーカーに就職しました。 体験談 入社した会社は「新潟は日本の6大木工産地」と言われていた中でも最大規模の企業でした。 製造工場を2か所に持ち、小売を中心とした本社は県内だけでなく横浜にも店舗があり、家具販売に加えライフスタイルショップや遊園地の経営も手がけていました。卸部門は全国3位の規模だったと記憶しています。 私は4月に入社し、11月までの7か月間在籍しました。給与以外の待遇は恵まれていたと思いますが、夏に大きな出来事がありました。 当時、会社には契約していた外部デザイナーがいて、皆から「小川先生」と呼ばれていました。ある日、その先生が秋の展示会に向けた製品開発の会議に出席され、私も進めていた企画を見てもらうことになりました。 デザイン案を見せた際、「この工場で作れるのか?」と尋ねられ、私は「自社工場では一部できませんが協力工場で可能です」と答えました。すると、いきなり平手打ちを受けたのです。会議室は一瞬で緊張に包まれました。 その後も評価の場で再び平手打ちを受け、終わった後に上司からは「よく我慢した」と声をかけられました。 この時の私は「インハウスのデザイナーは外部のデザイン事務所より立場が低いのだ」と受け取りました。都会のデザイン事務所に対して、地方の工場にはどうすることもできない力の差があるのだと。外注で加工できるので...